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国際結婚のリアル (Part 2) : イギリス生活と離婚裁判から学んだこと


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国際結婚と子育ての現実|イギリスで直面した夫婦のすれ違い


イギリスでの子育てをきっかけに、国際結婚の現実に直面した私の実体験。文化の違い、孤独、夫婦のすれ違い、そして突然の別れ——異国での子育てが教えてくれた「国際結婚の難しさ」と「心の再生」について綴ります。



外国での子育ての始まり

結婚して8年後、待望の息子を授かりました。私たちの関係が少しずつ変化していったのも、この時からです。


息子が生まれると同時に、日本航空が「ボランタリー・リダンダンシー(早期退職制度)」で退職希望者を募集していました。幼い子どもを抱えながらフライトを続けることは難しいと判断した私は、その募集に応募し、育児に専念することを決めました。同じ頃、彼が日本の銀行で働き始めたこともあり、経済的な心配はもうないだろうと安心していました。


けれども、私は「初めての子育てを外国で行う大変さ」をまったく理解していませんでした。友達もこの国になく、両親も日本にいる。そんな、彼以外に頼れる人が誰もいない状況での子育てが、これほど孤独で大変だとは思いもしませんでした。



外国での子育ての現実

  • 病院通いの増加と医療制度の壁

大人だけの生活では病院に行くこともそれほど多くなく、必要なときは彼も一緒に来てくれていました。しかし息子が生まれると、病院に行く回数は格段に増えました。彼も簡単に仕事を休めなくなり、私ひとりで息子を連れて行く場面が増えていきました。


イギリスの医療制度は、日本のように手厚いサポートがあるわけではなく、専門用語で説明されることも多く、正確に理解できないまま帰宅し、彼に怒られたことも何度もあります。そのたびに、自分の無力さを痛感しました。


  • 孤独感と夫婦関係の変化

息子の世話で心身ともに疲れ切った私は、これまでのように彼と英語で話すことも避けるようになり、彼を思いやる余裕もなくなっていきました。彼もその変化に不満を抱いていたのではないかと思います。


息子が3歳になりナーサリー(幼稚園)に通い始めると、彼は私に「働きに出てほしい」と言いました。しかし私は、「今は息子をきちんと育てることが最優先だ」と考え、働きに出ることを拒みました。この判断は、彼にとって不満だったようです。


振り返ってみると、背景には文化や価値観の違いがありました。イギリスでは共働きが一般的で母親も外で働くのが当たり前の一方で、私が育った日本では、母親は専業主婦として家庭を守るのが自然でした。


「三つ子の魂百まで」と言われるように、子どもが小さいうちは母親がきちんと面倒を見ることが大切だと信じていた私は、どうしても彼の言葉に従うことができませんでした。こうした小さな価値観の違いが、夫婦間での摩擦の一因になっていったのです。



理想と現実のギャップ

次第に私はこう思うようになりました。


「私は日本を離れて、彼のためにこの国に来て必死で頑張っているのに、なぜ彼は私にもっと頑張れと言うのだろう?」


「彼は自分の国にいて、友達も両親もいて、自分の言葉で暮らしている。不公平だ。」

今振り返ると、私は自分で選んでイギリスに来たのに、その責任を彼に転嫁していたのかもしれません。当時、もしかしたら産後うつの気もあったのではないかとも思います。


私たちは「文化や育った環境が違うのだから、何でもお互いに話し合おう」と決め、それを実践していました。しかし、息子の世話で疲れ切った私は、自分の思いを彼にぶつけるだけで、結局話し合いはいつも平行線で終わってしまいました。



子育てがもたらした夫婦の変化

息子の誕生をきっかけに、私たち夫婦の関係や日常生活のバランスは大きく変化しました。喜びや希望と同時に、想像以上の孤独と不安が押し寄せてきたのです。


外国での子育ては、家族がいなく、すべてを自分たちだけで乗り越えなければならない状況でした。夜中の授乳やおむつ替え、体調不良の心配、病院や保育園の手続き、言語や文化の違いによる情報の取りこぼし…一つ一つが積み重なり、時には押しつぶされそうな孤独感を感じました。


制度や文化の違いも大きな壁でした。イギリスには地域の支援や相談窓口も確かに存在していましたが、英語で情報を探したり手続きを進めたりする余裕は私にはほとんどなく、初めての子育てで何をどうすればよいのか、手探りの日々が続きました。


さらに、子育てに関する私と夫の考え方の違いも、夫婦間の摩擦を強めました。例えば、息子が6か月になった頃、夫は「そろそろ自分の部屋で一人で寝かせるべきだ」と言いました。しかし私は、まだ6か月で一人で寝かせるのはあまりにもかわいそうだと思い、納得できませんでした。その夜、泣き止まない息子を前に、夫と私は言い争いになり、結局互いに疲れ果てたまま寝ることになったこともありました。


小学校に入ると、食事に関する意見の違いもありました。夫は「学校で給食を食べてくるのだから、夜はサンドイッチのような軽い食事で十分だ」と考えていました。しかし、私は息子がどの程度学校で食べているかもわからないので、その考えに強く反対し、夕食のメニューをめぐって口論になることもありました。


こうした小さな衝突は、互いの疲労やストレスが積み重なることで、以前は穏やかに話し合えた些細なことでも大きな問題に感じられることが増えました。子どもの世話に追われる日常の中で、夫婦で「二人の時間」を持つ余裕はほとんどなく、互いの気持ちをじっくり伝え合う機会も減っていきました。


それでも、子どもの存在は私たちにとって希望の光でもありました。初めて寝返りを打った瞬間や、はじめて笑ったとき、成長の一つ一つを見守る喜びは、どんな孤独や困難も一時的に忘れさせてくれる、かけがえのないものでした。しかし同時に、子育てによる疲労、文化や制度のギャップ、そして夫婦間の考え方の違いは、私たちの関係に微妙な変化と緊張感をもたらし、国際結婚ならではの試練を実感させるものでした。



崩れていく夫婦関係と突然の別れ

この頃、彼からカップルカウンセリングに行こうという提案もありました。しかし当時の私はカウンセリングを信じておらず、「人に頼るより自分たちで解決するべきだ」と考えていたため、その提案は拒否しました。この判断は後の裁判で、私が彼との関係を修復する意思がなかったとされ、彼の立場を有利に見せる材料として使われることになりました。


彼の口から「離婚」という言葉が出ることは一度もなく、安心していました。ところが2016年、突然、見知らぬ男性が家に訪れ、行動制限命令(Prohibited Steps Order)と離婚申立書(Divorce Petition)を渡されました。私にとって、それはまさに青天の霹靂でした。


そして四日後、ヒアリング(調停)に出席するよう告げられました。法的代理人もおらず、何が起こるのかもわからないまま、私は友人と一緒に出席しました。後から分かったのですが、彼は私が息子を日本に連れて帰ってしまうことを恐れてこのような行動に出たようです。私はそのようなことは全く考えていなかったにもかかわらずです。


そのヒアリングでは、息子のパスポートはもちろんのこと、なぜか私のパスポートまで取り上げられました。息子のパスポートは仕方がなかったかもしれません。しかし、今思えば、私は一人で自由にこの国を出る権利があるはずで、私のパスポートを取り上げられる必要はなかったと思います。結局、私と息子のパスポートはその後2年間、返ってくることはありませんでした。


このとき日本大使館に相談しましたが、「英国の裁判所が決めたことだから」と何も助けてもらえませんでした。


パスポートを取り上げられることが、これほどまでに自分にとって辛いものだとは、それまで考えたこともありませんでした。まるで私が何か悪いことをしたかのように扱われ、自由を奪われ、イギリスという刑務所に閉じ込められた状態で過ごした2年間でした。


誰も信じることができず、本当に孤独でした。私は何も悪いことをしていないのに、なぜこんな理不尽な状況に置かれるのかと深い絶望感に包まれました。尊厳を奪われ、まるで自分が人間としての存在価値を奪われたように思い、無力で価値のない人間のように思わされました。


自由を奪われ、自分自身さえ信じられなくなるほど、心はすり減っていきました。


息子とホリデーで日本に帰ることができるまでの3年間は、まさに私にとって人生で最もつらい時期でした。



次回の第3回では、長く苦しい離婚裁判を通して見えた国際結婚の現実と、そこから私が学んだことを詳しくお伝えします。国際結婚や国際離婚を考えている方にとって、きっと参考になる内容です。



Locus of Lifeでは、私自身の経験を通して、心が少しでも軽くなるようなサポートをお届けできればと願っています。

国際結婚や海外での子育て、文化の違いによる孤独や葛藤を感じている方は、どうぞお気軽にご相談ください。

 
 
 

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