私はなぜここに?:イギリス在住20年の日本人カウンセラーによる教訓
- Locus of Life

- Jan 24
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Updated: 16 hours ago

近年、日本でも移民や多文化共生についての議論が増えています。イギリスのように多様な文化や価値観が衝突する社会の課題を、日本も経験するのではないかと心配する声も少なくありません。
この記事では、20年以上イギリスに暮らす日本人としての経験を振り返りながら、日本の価値観を守りつつ、他者への思いやりや尊重、そして自分の境界線を大切にすることの意味を、多文化社会で生きる視点から考えていきます。
守ることと、線を引くこと
―移民社会で生きて私が学んだ、日本人としての在り方―
近年、日本でも移民問題について語られることが増えてきました。「日本はイギリスのようになってはいけない」そんな言葉を耳にする機会も少なくありません。
確かに、イギリスはマルチカルチャー社会です。さまざまな人種、文化、価値観が共存する一方で、人種間の摩擦や価値観の衝突が起きているのも現実です。
私自身、20年以上前にイギリスに移り住み、その光と影の両方を日常の中で体感してきました。海外の人たちから「日本は良い国だ」「日本の文化や人の在り方は素晴らしい」と言われるたびに、私は誇らしさと同時に、ある種の責任を感じます。
日本には、長い歴史の中で育まれてきた人を敬い、大切にする文化があります。それは、先人たちが築き上げ、守り続けてきた大切な価値です。私は、その文化や歴史が、軽く扱われたり、ないがしろにされていくことには、強い違和感を覚えます。
だからこそ今、「私たちは一人ひとり、どう在ればいいのか」を、自分の足元から考えていく必要があるのではないでしょうか。
郷に入れば郷に従え、その先で迷った自分
日本では、移民問題について意見を述べる人たちが、「郷に入れば郷に従え」と声高に言うことがあります。もちろん私も、その考えに賛成です。
その国に来たのであれば、その国の文化や人々の暮らしをリスペクトし、その国のやり方を学んでいこうとする姿勢は、とても大切だと思います。私もイギリスに来た当初、大切にしていたのは「郷に入れば郷に従え」という姿勢でした。
文化を学び、価値観を理解し、できる限り馴染もうと努力しました。それ自体は、決して間違いではなかったと思います。しかし、そうして合わせること、我慢すること、波風を立てないことを続けるうちに、ふとこんな問いが浮かびました。「何故私は、この国に今いるのだろう」と。
その問いの中で、自分は「何者なのか」「何を大切にしているのか」が、少しずつ分からなくなっていった時期がありました。自分のアイデンティティが、静かに薄れていく感覚。それは、海外で長く暮らす多くの日本人が、一度は経験するものかもしれません。
個人主義の国で、失われつつあるもの
イギリスは個人主義の国です。自立や自由が尊重される一方で、日本にあるような「おもてなしの文化」「他者の立場を思いやる文化」は、日常の中ではあまり見られなくなっていると感じます。
多くの人は、そうした温かさを求めること自体を、すでに諦めてしまっているようにも見えます。けれど私は、こう感じています。本当は、多くの人がそれを心のどこかで望んでいるのではないか、と。
大切に扱われること。気にかけてもらえること。人として尊重されること。それは国や文化を超えて、人が本来、誰もが求めるものです。だからこそ、日本を訪れた他国の人たちが「日本はとても良い国だ」「人が優しい」と感じてくれるのだと、私は思います。
何のために私は、この国にいるのか
そのことに気が付いた時、私の中に一つの想いが生まれました。私一人の力では、確かに微力かもしれない。けれど、このおもてなしの心、人のことを思いやる心を、この国に少しでも広めていきたい。
もし私がそれを日々実践すれば、その姿を見た誰かが、また別の誰かに優しさを渡してくれるかもしれない。その輪は、少しずつでも広がっていくのではないか――そう考えるようになりました。
私が介護の仕事をしているのも、カウンセラーとしてクライアントのお話を聴いているのも、少しでもその輪が広がればいいな、という想いからです。誰かの尊厳を守ること。その人の人生を丁寧に扱うこと。それは、特別なことではなく、日々の関わりの中でできることだと思っています。
優しさと、「No」と言える力
日本には、古くから人を敬い、大切にする文化があります。それを日本人一人ひとりが持つことは、とても大切なことです。しかし同時に、「No」としっかり言えることも、私たち日本人にとって、とても大切なことなのだと、私はこの20年で学びました。
Noをきちんと言えないまま他国で生きるということは、taker(受け取る人)が多い社会で、常にgiver(与える人)であり続ける、ということでもあります。それでも良い人は、それで良いでしょう。けれど、多くの人は、そんな世界に生きづらさを感じているのではないかと思います。
優しさは、自己犠牲で成り立つものではありません。自分を守る境界線があってこそ、思いやりは健やかに循環していくのだと思うのです。
差別という言葉の、もう一つの捉え方
また、この国では差別の問題も多く語られています。私は、差別意識というものは、口では言わなくても、すべての人が心の中に持っているものではないかと考えています。
差別は、人種間の差別だけではありません。年齢、性別、文化、価値観、生き方――どこに行っても、さまざまな形の差別が存在します。けれど、そのすべてを「差別」と考えるのではなく、「区別」と捉えることもできるのではないかとも思うのです。
この世界に、同じ人は一人としていません。違いがあることは、優劣ではなく、自然なことです。人と違うことは、欠けていることではなく、その人のユニークさなのだと考えてみることもできるのではないでしょうか。
被害者意識と、自己価値
そしてもう一つ、私はカウンセラーとして、こう感じることがあります。差別をされたと感じる側にも、その人自身の自己価値の問題が関係している場合があるのではないか、ということです。
もし心の奥で「自分は劣っている」「受け入れられていない」という感覚を強く抱えていると、相手の言葉や態度は、より深く私達の心を傷つけます。けれど、「私はそれでも、私のままでいい」と心から思えていたらどうでしょうか。
たとえ差別的だと感じる言葉を向けられたとしても、それは相手の問題として受け止めることができ、自分の価値そのものが揺らぐことは少なくなるのではないかと、私は思うのです。これは、差別を正当化するという意味ではありません。誰かを傷つける言動が許される、という話でもありません。
ただ、自分の尊厳を、他者の評価に委ねすぎないこと。それもまた、私たちがこの社会で生きていくために、とても大切な力なのではないでしょうか。
私たち一人ひとりにできること
移民問題や差別の問題は、政治や制度だけで解決できるものではありません。私たち一人ひとりがどんな距離感で人と関わるのか。どこに線を引き、何を守るのか。そして、どんな優しさを選ぶのか。
日本人が本来持っている敬意と思いやりを大切にしながら、同時に「No」と言える強さを育てていく。その両立こそが、これからの時代を生きる私たちにとって、大切なのではないかと私は感じています。
この文章が、誰かが自分自身の輪郭を取り戻し、自分を守りながら他者と関わるための、小さなきっかけになれば幸いです。
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