"傷ついた人は他人を傷つける?: 心理学と異文化の視点で考える"
- Locus of Life

- Sep 6
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Updated: Oct 10
ある日、イギリス人の友人から「Hurt people hurt people(傷ついた人は他人を傷つける)」という言葉を聞きました。短くも強いそのフレーズが、心に深く残ったのを覚えています。
過去の傷が癒えないまま残っていると、無意識に他人にその痛みを投げてしまう——この考えは、西洋文化では広く知られているようです。
けれども日本には、「傷つけられた人はやさしくなれる」という、まったく異なる価値観があります。自分の痛みを知っているからこそ、他者に寄り添えるという考え方です。過去の経験を通して人としての深みを得るという意味では、「温故知新(ふるきをたずねてあたらしきをしる)」という言葉にも通じます。これは、過去の出来事や知恵を見つめ直すことで、未来に生かす新しい気づきを得るという、日本独自の精神文化のひとつです。
「傷」によって人が優しくなれるという思想もまた、過去の痛みを単なる苦しみではなく、学びや成長の種としてとらえる視点なのかもしれません。
今回は、このふたつの文化的視点の違いと、その背景にある考え方、そして私自身の経験を通して感じた「傷の持つ力」について綴ってみたいと思います。
異なる文化的視点:西洋と日本における傷の受け止め方
西洋社会では、個人主義が重んじられています。自分の感情や考えを率直に表現することが推奨され、内面の葛藤や傷を整理せずに放置すると、それが人間関係に影響を及ぼすという考え方も広く受け入れられています。「傷ついた人が他人を傷つける」という言葉は、心理学やカウンセリングの分野でしばしば引用され、未解決の感情やトラウマを認識し、癒すことの重要性を教えてくれます。個人の心の健康と他者への影響が密接に結びついているという視点は、西洋文化の「自己理解」と「自己責任」という価値観とも深く関わっています。
一方、日本では長い歴史の中で、集団との調和や他者への思いやりが重視されてきました。仏教や儒教の影響により、自分の感情を外にぶつけるよりも、内省を通して心を整えることが理想とされてきました。痛みや苦しみをただ抑え込むのではなく、自らが抱え込み、その経験を通して他者への慈しみや思いやりに変えていく——このプロセスは、日本文化における「傷の肯定的活用」とも言えます。
例えば、日常の小さな出来事でも、人は他人の小さな不安や悲しみを敏感に察知することがあります。それは、自分自身が過去に似た痛みを経験しているからこそ生まれる共感です。西洋的な視点が「自己の内面をケアすること」で始まるとすれば、日本的な視点は「自己の痛みを通じて他者とつながること」に重きが置かれている、と言えるでしょう。
こうした文化の違いは、単なる思想や価値観の差にとどまらず、社会全体の人間関係の築き方やコミュニケーションのあり方にも影響しています。「傷を持つこと」をどう受け止め、どう他者との関わりに活かすか——その答えは、文化ごとに異なるけれども、どちらも人間の本質を映し出すものなのです。
私自身の経験から学んだ傷の力
私も過去に、人生を大きく揺さぶられるような出来事を経験しました。それは、離婚という形で訪れました。
当初は、深い喪失感とともに、自分を責める気持ちや、相手への疑問、不安、孤独……いろんな感情が心の中で渦を巻いていました。自分の価値が見えなくなってしまった時期もありました。
そんな中で、私はふと「人の心」についてもっと知りたいと思うようになり、カウンセリングの勉強を始めました。離婚を経て、深い孤独や喪失感に押しつぶされそうになったとき、私はその痛みを避けたり無理に消そうとしたのではなく、じっくりと向き合うことを選びました。その過程で、自分の心の反応を理解し、自分を責めるのではなく受け入れることを学びました。そして、他者の痛みにもより敏感に、より思いやりをもって寄り添える力が少しずつ育まれていったのです。
学びを深める中で、私は自分自身を理解する力と、他者をより広い視点で受け止める力を少しずつ得ていったように思います。
今では、あの離婚という出来事が、ただの「失敗」ではなく、私にとって必要な通過点だったのではないかとさえ思えるようになりました。
世界情勢と歴史を振り返る:憎しみの循環と平和の選択
ここに現在のイスラエルの情勢を思うと、一概には言えませんが、今のイスラエルとアラブ諸国の問題は、まさに「憎しみを憎しみで返す」ということが繰り返されている象徴のように感じます。それではこれからも同じことの繰り返しであり、何も解決にはなりません。悲しい思いをする人たちが増えるばかりであり、またその悲しい思いをした人たちがさらに復讐の気持ちを抱えてしまうばかりです。このような循環が続いてしまう世の中は、本当に悲しい世の中だと感じます。
振り返ってみると、日本も過去に第二次世界大戦を経験しました。終戦の際には広島と長崎に原子爆弾が投下され、多くの罪のない市民が犠牲になりました。人類史上初めての出来事であり、その苦しみと悲しみは計り知れません。私たちはその事実を忘れることはありませんし、犠牲になられた方々への哀悼の思いを持ち続けています。
けれども同時に、日本人はその深い苦しみを憎しみに変えるのではなく、平和を選び取る道を歩んできました。私たちの先人たちが、どれほどの痛みを抱えながら、その憎しみを癒し、和を重んじることを選んだのかを思うと、胸が締め付けられるような思いがします。しかし、憎しみからは何も生まれません。今の日本の発展があるのも、先人たちが苦しみを背負いながらも、それを未来への教訓とし、平和と共生を大切にする道を歩んでくれたおかげなのだと思います。
私は日本人なので、日本の例を挙げましたが、世界を見渡すと、同じように痛みや傷を復讐に変えず、平和を選んだ例もあります。
南アフリカのアパルトヘイト後の真実和解委員会(TRC):ネルソン・マンデラ大統領とデズモンド・ツツ大司教が、復讐ではなく和解を国の方針に掲げ、被害者と加害者の対話を通して社会全体の癒しと共生を目指しました。
インド独立運動のガンジー:イギリス植民地時代の不当な扱いや暴力に対して、非暴力・不服従を原則に、復讐ではなく平和的手段で独立を勝ち取りました。
他にもまだまだ、このような例は数多くあります。共通しているのは、痛みや傷を認識しながらも、未来の世代や社会のために復讐ではなく、対話や共生を選ぶ姿勢です。日本の戦後の歩みと同じく、個人や国家が抱える痛みを力に変え、未来のために希望を選ぶ道を歩む——それこそが、歴史が私たちに教えてくれる学びです。
この経験は人類全体に共通する学びだと思います。どれほど大きな悲しみや苦しみがあったとしても、そこから復讐や憎しみを選ぶのではなく、対話や思いやりを選ぶことは可能です。日本が歩んできた平和への道のりは、その一つの例にすぎません。そして、この姿勢は国や文化を超えて、未来に生かせる知恵であると信じています。過去の痛みをただ悲しみとして残すのではなく、それを学びや希望に変えること——これが人類全体に共通する大切な教訓であり、私たち一人ひとりが心に留めておくべき指針ではないでしょうか。
傷をどう生かすか
確かに、「傷ついた人が他人を傷つけてしまう」ということはあります。心の中に抱えた怒りや不安が、思いがけず外へ向かってしまうこともあるでしょう。
でも、その一方で、私はこうも思います。人は、傷ついた経験を通して、やさしさや共感、そして強さを育てることもできるのではないかと。
傷をどう生かすかは、単に「耐える」「我慢する」といった消極的な姿勢ではありません。自分の痛みを理解し、受け止め、それを他者との関わりや学びに変換する能動的なプロセスです。例えば、過去に辛い経験をしたからこそ、友人の心の揺れや、職場での小さな困難に対して敏感になれたり、支えになることができたりします。痛みを知っているからこそ、他者の苦しみに寄り添い、思いやりや共感を生み出せるのです。
さらに言えば、傷を生かすことは、自分自身の人生に意味を与える作業でもあります。痛みを単なる不運や失敗で終わらせるのではなく、それを通じて得た気づきを次の選択や行動に生かす——そうすることで、心は柔軟さと強さを同時に手に入れることができるのです。
文化の違いと、心の可能性
文化や言語が違っても、人が「傷」を持つという点では共通しています。けれども、その痛みとどう向き合い、どう変容させるかは、文化や個人によって異なる——そこにこそ、私たちが学び合える可能性があるのだと思います。
「傷ついた人が他人を傷つける」という視点も、「傷つけられた人はやさしくなれる」という視点も、どちらも人間の本質の一部を映し出しています。正解は一つではありません。でも、それぞれの考えに耳を傾けることで、私たちはもっと寛容に、深く人と関われるようになるのではないでしょうか。
そして、日本の「温故知新」のように、過去の経験に新しい意味を見出していく姿勢は、どんな文化の中に生きる人にとっても、希望となる知恵ではないかと思います。
もしあなたが今、過去の経験に苦しんでいるとしたら——どうかその痛みに意味を与えようと、ひとりで抱え込まないでください。
Locus of Lifeでは、そんな心の旅路に寄り添えるような情報や視点をシェアしています。カウンセリングという選択肢も、あなた自身を理解し、心の平和を取り戻すきっかけになるかもしれません。
傷ついた過去があるからこそ、私たちはやさしく、しなやかに生きていける。大切なのは、その痛みをどう受け止め、どう生かすかです。少しずつ自分と他者にやさしくなれる道を歩むこと——それこそが、人としての深みと豊かさを育む力になるのだと思います。そして今日も、この場所から静かにエールを送ります。


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